ラオスの安井清子さんから、元難民のモン族の人びとが暮らすシヴィライ村からの便りが届きました。
by laospantao


ヤーコンのこと

 ヤーコンは、昨年9月に障害者のための職業訓練校に入って、携帯電話やテレビなど電気機器の修理を学んだ。学校は完全寄宿制で携帯電話も禁止。ヤーコンの母親から、「頑張って勉強しているみたいよ」という話を聞いていたが、会うこともなかった。

 そしてこの9月、1年のコースを終え、卒業を控えたヤーコンから電話が入った。これまで、引っ込み思案の彼が直接私に電話をしてきたのは初めてだ。学校は授業料も生活費もとらず、これまで無料で勉強してきたのだが、卒業試験のために、あれこれ修理するものを購入しなくてはいけないのだそうだ。そのお金を助けてもらえないだろうか? という電話だった。ヤーコンにはずっと日本の方からの支援金を預かっている。シヴィライ村の小学校建設を中心に進めて下さった、茨城県の妙行寺の大宮さんが、その後もシヴィライ村の人たちのことを気遣って下さっている。そのお金を持って、ビエンチャン郊外にある職業訓練校に、ヤーコンを訪ねた。

 学校の門番さんに、ヤーコンに会いに来た旨を伝えると、呼びに行ってくれた。しばらくすると、なんと、車椅子に乗ったヤーコンがなんとも鮮やかなスピードで、学校の奥からスイ~スイ~と風を切って現れた。これまで、彼は杖をついてヨッコラヨッコラ歩いていたのだ。さっそうと現れたヤーコンは、まるで一回り大きく生まれ変わったように見えた。

「ありがとう。わざわざ本当にありがとう。大宮さん?もちろん覚えているよ。ずっとお世話になっていて…」
 これまでは、こちらが何か言っても、ウンともスンとも答えなかったほど寡黙で暗かった少年は、にこやかにペラペラとラオス語で話しはじめるではないか!表情が明るい。

「試験が終わったらね、ぼく、ビエンチャンで職を探したいんだよ。先輩たちが紹介してくれたら働いてみようと思っている。ビエンチャンで暮らして働きたい」
と、ヤーコンは言う。親元を離れて、ビエンチャンで一人立ちしたいのだというではないか。自分の将来に対しての希望と、チャレンジしようという自信が、ヤーコンからあふれていた。

 職業訓練校で暮らした1年。彼は、みんなどこかに障害を負った仲間たちに囲まれて、そしてそのみんなが障害を越えて学んで一人立ちしていこうとする姿を見て、その中で自分も技術を学びながら、生きる勇気と将来への希望を抱いたのだろう。
 小学生の頃、木から落ちて歩けなくなり、一時は、「ぼくを道の真ん中に置いておいてよ、お母さん。車にひかれて死んでしまったら、みんな楽になるよ」と母親に言ったというヤーコン。無口な暗い少年になってしまったが、勉強だけは続けた。その彼が、顔を上げ晴れ晴れと前をしっかりと見ている。
 よかった。ヤーコンはもう一人で歩きはじめたんだ。

 数週間後、卒業証書を受け取り、シヴィライ村に戻ったヤーコンに会った。さっそく、村の人たちに、電話やテレビの修理を頼まれているという。片脚を引きずりながら、修理する電気機器を持って現れた。
「ただで、直してあげちゃダメよ。ちゃんとお金とりなさいよ」と言うと、
「大丈夫、もらってるよ」
ヤーコンははにかんだ笑顔をほころばせた。

▼ラオス・山のふもとの刺しゅう屋さん(シヴィライ村の刺しゅう)
http://pajhnub.ocnk.net/

▽ヤーコンの以前の記事
http://laoshmong.exblog.jp/22533567/


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by laospantao | 2016-04-08 00:33
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