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ラオスの安井清子さんから、元難民のモン族の人びとが暮らすシヴィライ村からの便りが届きました。
by laospantao


残された家族 続き

モンの村では、しばしばこちらの常識ではわからぬことが起きるが、その後、残された家族を支えていたロー・ワンは、村のある男性の3番目の妻になった。この男性は別に権力や財力があるわけでも、女性をくどくのが上手なようにも見えないのだが……。どうも未亡人の世話焼きなのかもしれない……一番目の妻にたくさんの子どもたち、2番目の妻の連れ子と子どものいる、その男の大家族に、ロー・ワンは3番目の妻として嫁いで行ったのだ。まだ30代の彼女が、この先何十年もの人生を、未亡人として生きていくより、誰かの妻となることを選んだことは、モンの女性としては当然の選択ともいえる。
こうして、ロー・ワンは亡くなった夫・イェンポー・ションの家を離れた。モンの女性はたとえ、夫が亡くなっていても、再婚する時、息子を一緒に連れていくことはできない。ロー・ワンは5人の子どものうち、下の娘二人とまだ小さい末の息子を連れていったが、息子は大きくなったら、元の夫の親族に返すことになっているという。嫁ぎ先は、徒歩5分と離れていない、同じ村人の家なのだが……とにかく、残された家族を支えていた働き手のかあちゃんはいなくなってしまったのだ。

 さて、残された家族は、目のあまり見えない1番目の妻、マイ・リーと、その子どもたち2人(小さな時から養子として育てられたヤァートゥとマイチャ)と、ロー・ワンの息子1人と、娘1人だ。マイ・リーは年老いている上、目があまり見えないので、ほとんどまともに働けない。食事の支度すらままならない老母を抱えて、中学生、小学生の子どもたちが家を守ることになった。
 そんな中、今年4月、マイチャが、中学3年の学年末試験が始まろうという時、学校を辞めたときいた。
「仕方ないよ、父親も死んで、母親は目も見えず、働き手がいないんだから」
と村人は口々に言った。
 数か月後、10月に入ったある日、私はシヴィライ村を訪ねた。シヴィライ村小学校の校舎整備などに支援をいただいている石川県の清水基金の木崎さんも一緒だ。村長は、
「昨年、村の子で貧困のために、4人の子どもが学校を辞めた。その一人がマイチャだよ。マイチャの母違いの妹にあたる(ロー・ワンの長女)のシュアも、親戚の伯父さんたちが、貧乏なんだから学校なんか辞めて畑仕事しろって、辞めさせようとしたんだけど、義姉のミー(マイ・リーの長女:シヴィライ村の女性の中で、初めて高校、看護学校へと進み、看護婦になった。いわば職業婦人の草分け)が、どうしても勉強を続けろってお金も支援して、学校に残ることになったんだよ」と言う。
 ミーは、イェンポーの長女で、村で初めて高校へと進んだ女の子だ。今は、3人の子の母で、隣村の診療所の看護婦としても働いている。イェンポーは私に言ったものだった。
「モンの人たちは、女の子に教育なんていらないって言う人が多いけれど、ぼくは、娘に教育を受けて、きよこみたいに一人でも生きていける人になってほしいんだよ」
 私はイェンポーに頼まれて、遠い南のサバナケート県の看護婦学校で学んでいたミーに、米がずっしり入った袋を届けるため、一晩バスに揺られて行ったこともあった。そうして看護婦になったミーが、今度は、母親違いとはいえ、妹に学校を続けるよう支援してあげたというのは、嬉しい話だった。
 村長は、
「あそこの子どもたちには脱帽するよ。イェンポーが植林しておいたわずかなゴム林がようやく育っているのだが、中学生の子どもたちは、早朝に起きて、ゴムを収穫し、他の人のゴムの収穫も請け負ってやり、その作業を終えてから学校に行くんだよ。だから、多少なりとも収入となって、あの家の家計を支えているわけだ。お母さんは目も見えなくて何もできないからね」
と言った。
 そんな話を聞いた後、家を訪ねた。大声で、「ニョージョン」と言うと、視点の定まらない老母、マイ・リーが「おや、来たのかい?」と出てきた。「マイチャは?」と聞くと、暗い家の中を指して、「中にいるよ」と言う。母は、
「マイチャがいるから、私はこうして生きていられるんだよ。マイチャがご飯を作ってくれなかったら、まったくご飯も食べられない。目が見えなくなって、火は怖くて使えないからね、何もできないよ。まったく情けないことだ」と言う。
 マイチャは、暗い家の中にいた。他のきょうだいたちは、学校から帰って来ていない。学校を辞めてしまった彼女が一人で家にいるのだった。
「畑仕事行かないの?」ときくと、
「だって、一人で怖いもの。週末にきょうだいたちと行くのよ」と言う。
 マイチャは若い女の子だ。一人で山の畑に行くのはやはり怖くて、平日は家にいるのだそうだ。なんだ、それだったら、学校に戻った方がいいんじゃないの……と私は思った。
「学校に戻りたくないの?」
 すると、家の隅に立っていたマイチャは、キッと唇を噛みしめたような顔をして、
「私、学校へ行きたい」
と言った。そして、口早に、「戻れるのなら、戻りたい。また勉強がしたい」
と言う。マイチャは、4月、ちょうど、農作業のピークと学年末試験が重なる時に、やむなく畑に行くことを選んだのだろう。そうして一度は学校を行くことをあきらめたものの、でも、まだ中3の女の子だ。友達やきょうだいが学校へ行ってしまった後のひっそりとした家で、中途半端な気持ちのまま日々を過ごしているに違いない。
「本当にまた勉強したいの?」と聞くと、マイチャは、「うん」とうなづいた。そんなやりとりに耳をそばだてていた母のマイ・リーがマイチャに強い口調で話しかけた。
「あんた、本当にまた学校に戻りたいんだったら、もう二度と辞めちゃいけないよ。一生懸命勉強しなくちゃいけないよ。学校へ行ったら、昼間の畑仕事はできないんだから、その分、週末にきょうだいたちと畑仕事をして、それで、学校は行かなくちゃいけないよ。貧乏でも、最後まで学校をなまけちゃいけないよ。わかっているね。それでも学校へ行きたいかい?」
 もうあまり見えない目で、娘に話しかける老母。マイリーは硬い表情でうなづいた。その後、母は私に向かって言った。
「お願い。この子のことを支援してやっちゃくれないかしら? 助けてやってちょうだい」
 マイチャ、そして娘の思いをかなえてあげたい母の思い・・・
やっぱり勉強したい! 学校へ行きたい・・・ 
 そんな思いに、胸が熱くなる思いがした。
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 学校にかかる費用・・・とりあえずは、制服代と学校の登録料・・・を、清水基金が出して下さることになった。学校への復学は、村長に交渉を頼んだ。
 その数日後、マイチャが、これまで勉強してきた友達たちと同学年、中4に編入されることが決まった・・・と電話できいた。
 よかった。
はっきり言えば、彼女がここで勉強を続けて、中学、そして高校を卒業したところで、まだまだラオスの現状では、将来が開けるわけではない。大学を卒業しても、職を得られずに畑仕事をしている若者もいる現実である。でも、ここで辞めたら、いろんな可能性をすべて失ってしまうということも確かなのだ。勉強したい!という気持ちを持つ子どもには、勉強してほしい。そして、自分の将来への夢を思い描いてほしい。
by laospantao | 2015-10-24 01:28
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