ラオスの安井清子さんから、元難民のモン族の人びとが暮らすシヴィライ村からの便りが届きました。
by laospantao


ヤーコンのこと

 ヤーコンは9歳の時、隣村で、実をとりに上った木から落ちて、柵として立てられていた竹に、なんと串刺しになってしまった。村人が助けて、すぐ病院に運んだ。一命はとりとめたものの、もう歩けないだろう……と医者は言った。また、尿意を感じる神経が切れてしまったらしく、おしっこが垂れ流しになってしまった。

 ヤーコンは1カ月、ビエンチャンにある150ベッド病院と呼ばれる外科病院に入院した。退院後、村を訪ねた私に母親のウー・ハーは、
「刺しゅうを買ってもらえる? また息子を病院に連れて行かないといけないから」と、差し出した布には、植木鉢と花が刺しゅうされていた。
「病院で息子に付き添っていた時、窓の外に鉢に植わっている花が見えたのよ。毎日見ていたのよ。それで刺しゅうしたの」と言った。
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   入院中のヤーコンとお父さん
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            車いす…怪我をした年のヤーコン

 その後、ヤーコンは少しずつ歩けるようになり、杖をついて歩くことができるようになった。でも、明るい笑顔の少年の顔は、だんだん暗く、無口になった。他の子どもたちが山を駆け回り遊んだり、畑仕事を手伝ったりするのに、彼にはできない。これまでは、長男のヤーコンが先に立って、両親の手伝いをしてきたのに、外仕事は弟が代わってするようになった。ヤーコンは黙ったまま、ひたすら刺しゅうしてハートを作っていた。せめてもの小遣い稼ぎ、そして、家計の足しになるからである。

 学校へ行く時にだけ、紙オムツをしている。尿意がないから、いつのまにかもれてしまうのだ。紙オムツが買えないと学校に行けない。友達に「臭い」と嫌われてしまうから。オムツ代は、シヴィライ村中学校建設以来、ずっと村を支援してくださる茨城県の妙行寺の大宮さんが支援してくれることになり、ヤーコンは学校へ通った。
 手先は器用で、自分で自転車修理もする。ただ、自分では漕げないので、弟が漕ぐ自転車の後ろに乗って、隣村にある小学校へ通っていた。歩くと40分もかかる道のりは、彼の脚では大変だ。
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   弟と二人乗りで学校に通う

 小学校を終えた頃、縫い合わされた背中の傷から膿のようなものが出てくるようになった。痛みもあって、ヤーコンの元気がなくなった。病院に行くと、おそらく竹のささくれが体内に残っているのだろう……でも、ラオスの病院にはない、もっと精度の高いレントゲンを撮らないとわからない。そのレントゲン写真があれば、手術はラオスでできると、病院で言われたと、ヤーコンの父親が相談に来た。レントゲンを撮るだけで700ドルもかかるのだ。
 レントゲンの他、手術代もかかる。正直言って、少ないお金ではない。きついと思ったが、この時点で、私が、「無理だよ。そんなお金はない」と言ってしまったら、もうヤーコンの望みが絶ち切れてしまう……「なんとかしてみるよ」と、いつもヤーコンの支援してくださる妙行寺の大宮さんに相談した。大宮さんが寄付を集めて下さり、ヤーコンはタイでのレントゲンを元に手術を受けることになった。1カ月近く入院した。確かに、竹のささくれが体内に残っていたのだった。

 再び元気になったヤーコンは中学へと進み、学校での成績もクラスで1,2番という頑張りだ。家ではいつも刺しゅうをしてハートを作っていた。ヤーコンの作るハートは本当にきれいなのだが、黙々と作る少年の姿は悲しくもあった。ほとんど笑顔は見せず、無口で、たまに話しかけても、答えない。ある時、私はヤーコンに言った。
「あのね。みんながヤーコンのこと応援してるんだよ。少しは話もしないとダメよ。ありがとうぐらいは言わなきゃ」

 そんなヤーコンの笑顔を見るようになったのは、2年ほど前だったろうか? 友達と話して笑っていた。杖をついて、ぶきっちょにだが走っている姿を見て、あぁ、こんな楽しそうなヤーコンをこれまで見たことがなかったな、と嬉しくなったものだ。

 シヴィライ村にある中学は、中学4年までで、それ以降の高校レベルはない。遠くの高校に通うのはヤーコンには大変だ。せっかく勉強もできるのに、ここで進学をあきらめるのも残念だ。そして何よりも、身体を使った農作業など普通の村の仕事ができないのだから、手先に技術を身に着けないといけない。そんな時、ラオスで障害者の活動を支援しているNGOのADDP(アジアの障害者活動を支援する会)の方から、障害者のための職業訓練校があるという話をきいた。パソコンや電話、テレビなどの修理の技術、またはバイク修理などを、ただで学ぶことができるのだという。技術が身につくことはもちろんだが寄宿して共同生活を送る中で、深いつながりができ、卒業しても協力しあう人が多いのだという。

 今年の6月に中学4年を卒業した彼に、その話をしに行った。その日、みんな畑に出払って、彼が一人、家にいたのだ。ヤーコンに説明して、
「どう? そこへ行って勉強したい?」と聞くと、彼ははっきりと、
「うん、勉強したいよ」と答えた。「行ったら、家から離れて、寄宿舎に入って、他の人たちと暮らすのよ。大丈夫?」「うん、大丈夫」と彼はうなづいた。

 あれこれ、必要書類がそろったから、願書を出しに行きたいと、ヤーコンの母から電話があったのは、先週のことだ。ビエンチャンの中心地からは少し離れた場所にあるその学校へ、ヤーコンを連れて行った。
 願書を受け取った女の職員の人も、脚が不自由。「他にも障害者がいたら、ぜひ来るようにいってくれよ」と明るい調子で話しかけてきたのは、背がまがってとても小さな男の人……両手のない人、車いすの人……でも、みんなの表情は明るい。ヤーコンは、「自分よりもっと身体の不自由な人たちが、みんな頑張っている」と感じたに違いない。

 9月に入ったら、ヤーコンは初めて家を離れて、新しい学校へと進むのだ。そこで、いい仲間に出会い、技術を身につけて、将来を切りひらいていってほしい。

▼ラオス・山のふもとの刺しゅう屋さん(シヴィライ村の刺しゅう)
http://pajhnub.ocnk.net/
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        今年のヤーコン、この後、職業訓練学校に願書を出した。
by laospantao | 2014-08-31 23:13
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