ラオスの安井清子さんから、元難民のモン族の人びとが暮らすシヴィライ村からの便りが届きました。
by laospantao
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ヤーコンのこと

 ヤーコンは、昨年9月に障害者のための職業訓練校に入って、携帯電話やテレビなど電気機器の修理を学んだ。学校は完全寄宿制で携帯電話も禁止。ヤーコンの母親から、「頑張って勉強しているみたいよ」という話を聞いていたが、会うこともなかった。

 そしてこの9月、1年のコースを終え、卒業を控えたヤーコンから電話が入った。これまで、引っ込み思案の彼が直接私に電話をしてきたのは初めてだ。学校は授業料も生活費もとらず、これまで無料で勉強してきたのだが、卒業試験のために、あれこれ修理するものを購入しなくてはいけないのだそうだ。そのお金を助けてもらえないだろうか? という電話だった。ヤーコンにはずっと日本の方からの支援金を預かっている。シヴィライ村の小学校建設を中心に進めて下さった、茨城県の妙行寺の大宮さんが、その後もシヴィライ村の人たちのことを気遣って下さっている。そのお金を持って、ビエンチャン郊外にある職業訓練校に、ヤーコンを訪ねた。

 学校の門番さんに、ヤーコンに会いに来た旨を伝えると、呼びに行ってくれた。しばらくすると、なんと、車椅子に乗ったヤーコンがなんとも鮮やかなスピードで、学校の奥からスイ~スイ~と風を切って現れた。これまで、彼は杖をついてヨッコラヨッコラ歩いていたのだ。さっそうと現れたヤーコンは、まるで一回り大きく生まれ変わったように見えた。

「ありがとう。わざわざ本当にありがとう。大宮さん?もちろん覚えているよ。ずっとお世話になっていて…」
 これまでは、こちらが何か言っても、ウンともスンとも答えなかったほど寡黙で暗かった少年は、にこやかにペラペラとラオス語で話しはじめるではないか!表情が明るい。

「試験が終わったらね、ぼく、ビエンチャンで職を探したいんだよ。先輩たちが紹介してくれたら働いてみようと思っている。ビエンチャンで暮らして働きたい」
と、ヤーコンは言う。親元を離れて、ビエンチャンで一人立ちしたいのだというではないか。自分の将来に対しての希望と、チャレンジしようという自信が、ヤーコンからあふれていた。

 職業訓練校で暮らした1年。彼は、みんなどこかに障害を負った仲間たちに囲まれて、そしてそのみんなが障害を越えて学んで一人立ちしていこうとする姿を見て、その中で自分も技術を学びながら、生きる勇気と将来への希望を抱いたのだろう。
 小学生の頃、木から落ちて歩けなくなり、一時は、「ぼくを道の真ん中に置いておいてよ、お母さん。車にひかれて死んでしまったら、みんな楽になるよ」と母親に言ったというヤーコン。無口な暗い少年になってしまったが、勉強だけは続けた。その彼が、顔を上げ晴れ晴れと前をしっかりと見ている。
 よかった。ヤーコンはもう一人で歩きはじめたんだ。

 数週間後、卒業証書を受け取り、シヴィライ村に戻ったヤーコンに会った。さっそく、村の人たちに、電話やテレビの修理を頼まれているという。片脚を引きずりながら、修理する電気機器を持って現れた。
「ただで、直してあげちゃダメよ。ちゃんとお金とりなさいよ」と言うと、
「大丈夫、もらってるよ」
ヤーコンははにかんだ笑顔をほころばせた。

▼ラオス・山のふもとの刺しゅう屋さん(シヴィライ村の刺しゅう)
http://pajhnub.ocnk.net/

▽ヤーコンの以前の記事
http://laoshmong.exblog.jp/22533567/


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# by laospantao | 2016-04-08 00:33

残された家族 続き

モンの村では、しばしばこちらの常識ではわからぬことが起きるが、その後、残された家族を支えていたロー・ワンは、村のある男性の3番目の妻になった。この男性は別に権力や財力があるわけでも、女性をくどくのが上手なようにも見えないのだが……。どうも未亡人の世話焼きなのかもしれない……一番目の妻にたくさんの子どもたち、2番目の妻の連れ子と子どものいる、その男の大家族に、ロー・ワンは3番目の妻として嫁いで行ったのだ。まだ30代の彼女が、この先何十年もの人生を、未亡人として生きていくより、誰かの妻となることを選んだことは、モンの女性としては当然の選択ともいえる。
こうして、ロー・ワンは亡くなった夫・イェンポー・ションの家を離れた。モンの女性はたとえ、夫が亡くなっていても、再婚する時、息子を一緒に連れていくことはできない。ロー・ワンは5人の子どものうち、下の娘二人とまだ小さい末の息子を連れていったが、息子は大きくなったら、元の夫の親族に返すことになっているという。嫁ぎ先は、徒歩5分と離れていない、同じ村人の家なのだが……とにかく、残された家族を支えていた働き手のかあちゃんはいなくなってしまったのだ。

 さて、残された家族は、目のあまり見えない1番目の妻、マイ・リーと、その子どもたち2人(小さな時から養子として育てられたヤァートゥとマイチャ)と、ロー・ワンの息子1人と、娘1人だ。マイ・リーは年老いている上、目があまり見えないので、ほとんどまともに働けない。食事の支度すらままならない老母を抱えて、中学生、小学生の子どもたちが家を守ることになった。
 そんな中、今年4月、マイチャが、中学3年の学年末試験が始まろうという時、学校を辞めたときいた。
「仕方ないよ、父親も死んで、母親は目も見えず、働き手がいないんだから」
と村人は口々に言った。
 数か月後、10月に入ったある日、私はシヴィライ村を訪ねた。シヴィライ村小学校の校舎整備などに支援をいただいている石川県の清水基金の木崎さんも一緒だ。村長は、
「昨年、村の子で貧困のために、4人の子どもが学校を辞めた。その一人がマイチャだよ。マイチャの母違いの妹にあたる(ロー・ワンの長女)のシュアも、親戚の伯父さんたちが、貧乏なんだから学校なんか辞めて畑仕事しろって、辞めさせようとしたんだけど、義姉のミー(マイ・リーの長女:シヴィライ村の女性の中で、初めて高校、看護学校へと進み、看護婦になった。いわば職業婦人の草分け)が、どうしても勉強を続けろってお金も支援して、学校に残ることになったんだよ」と言う。
 ミーは、イェンポーの長女で、村で初めて高校へと進んだ女の子だ。今は、3人の子の母で、隣村の診療所の看護婦としても働いている。イェンポーは私に言ったものだった。
「モンの人たちは、女の子に教育なんていらないって言う人が多いけれど、ぼくは、娘に教育を受けて、きよこみたいに一人でも生きていける人になってほしいんだよ」
 私はイェンポーに頼まれて、遠い南のサバナケート県の看護婦学校で学んでいたミーに、米がずっしり入った袋を届けるため、一晩バスに揺られて行ったこともあった。そうして看護婦になったミーが、今度は、母親違いとはいえ、妹に学校を続けるよう支援してあげたというのは、嬉しい話だった。
 村長は、
「あそこの子どもたちには脱帽するよ。イェンポーが植林しておいたわずかなゴム林がようやく育っているのだが、中学生の子どもたちは、早朝に起きて、ゴムを収穫し、他の人のゴムの収穫も請け負ってやり、その作業を終えてから学校に行くんだよ。だから、多少なりとも収入となって、あの家の家計を支えているわけだ。お母さんは目も見えなくて何もできないからね」
と言った。
 そんな話を聞いた後、家を訪ねた。大声で、「ニョージョン」と言うと、視点の定まらない老母、マイ・リーが「おや、来たのかい?」と出てきた。「マイチャは?」と聞くと、暗い家の中を指して、「中にいるよ」と言う。母は、
「マイチャがいるから、私はこうして生きていられるんだよ。マイチャがご飯を作ってくれなかったら、まったくご飯も食べられない。目が見えなくなって、火は怖くて使えないからね、何もできないよ。まったく情けないことだ」と言う。
 マイチャは、暗い家の中にいた。他のきょうだいたちは、学校から帰って来ていない。学校を辞めてしまった彼女が一人で家にいるのだった。
「畑仕事行かないの?」ときくと、
「だって、一人で怖いもの。週末にきょうだいたちと行くのよ」と言う。
 マイチャは若い女の子だ。一人で山の畑に行くのはやはり怖くて、平日は家にいるのだそうだ。なんだ、それだったら、学校に戻った方がいいんじゃないの……と私は思った。
「学校に戻りたくないの?」
 すると、家の隅に立っていたマイチャは、キッと唇を噛みしめたような顔をして、
「私、学校へ行きたい」
と言った。そして、口早に、「戻れるのなら、戻りたい。また勉強がしたい」
と言う。マイチャは、4月、ちょうど、農作業のピークと学年末試験が重なる時に、やむなく畑に行くことを選んだのだろう。そうして一度は学校を行くことをあきらめたものの、でも、まだ中3の女の子だ。友達やきょうだいが学校へ行ってしまった後のひっそりとした家で、中途半端な気持ちのまま日々を過ごしているに違いない。
「本当にまた勉強したいの?」と聞くと、マイチャは、「うん」とうなづいた。そんなやりとりに耳をそばだてていた母のマイ・リーがマイチャに強い口調で話しかけた。
「あんた、本当にまた学校に戻りたいんだったら、もう二度と辞めちゃいけないよ。一生懸命勉強しなくちゃいけないよ。学校へ行ったら、昼間の畑仕事はできないんだから、その分、週末にきょうだいたちと畑仕事をして、それで、学校は行かなくちゃいけないよ。貧乏でも、最後まで学校をなまけちゃいけないよ。わかっているね。それでも学校へ行きたいかい?」
 もうあまり見えない目で、娘に話しかける老母。マイリーは硬い表情でうなづいた。その後、母は私に向かって言った。
「お願い。この子のことを支援してやっちゃくれないかしら? 助けてやってちょうだい」
 マイチャ、そして娘の思いをかなえてあげたい母の思い・・・
やっぱり勉強したい! 学校へ行きたい・・・ 
 そんな思いに、胸が熱くなる思いがした。
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 学校にかかる費用・・・とりあえずは、制服代と学校の登録料・・・を、清水基金が出して下さることになった。学校への復学は、村長に交渉を頼んだ。
 その数日後、マイチャが、これまで勉強してきた友達たちと同学年、中4に編入されることが決まった・・・と電話できいた。
 よかった。
はっきり言えば、彼女がここで勉強を続けて、中学、そして高校を卒業したところで、まだまだラオスの現状では、将来が開けるわけではない。大学を卒業しても、職を得られずに畑仕事をしている若者もいる現実である。でも、ここで辞めたら、いろんな可能性をすべて失ってしまうということも確かなのだ。勉強したい!という気持ちを持つ子どもには、勉強してほしい。そして、自分の将来への夢を思い描いてほしい。
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# by laospantao | 2015-10-24 01:28

残された家族 

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 昨年、大黒柱のお父さんをなくした一家。
 イェンポー・ションは、彼らの亡くなったお父さんの名前だ。
 イェンポーには3人の妻がいた。左端に座るマイリー・リーは1番目の妻。そして、2番目の妻は、出産の時に出血多量でお腹の赤ちゃんとともに亡くなった。その後に娶ったのが、3番目の妻、右から2番目のロー・ワンだ。1番目の妻には2人の娘がいるが(二人ともすでに結婚している)、男の子ができなかったために、次々と妻をもらったのだろう。モンの場合、家を継ぐ男の子がいないと、そうする人が現在でも多い。モンは一夫多妻が許されるので、男からすると、間違ったことではないのだ。

 イェンポーより年上の妻、マイリーは、夫が他の女を妻にした時、私に、
「私もあんたみたいに、職業を持って一人で生きていく甲斐性があるんだったら、家を出て一人で生きていくのに。そうできないから、他の女が、夫の妻になって家に入ってきても、我慢するしかないのよ。一人で生きてなんかいけないからね」
と言って泣いたことがある。モンの女性が、村の暮らしの中で、一人で生きて行くというのは、本当に難しいことなのだ。マイリーの長女、ミーは看護士になり、村で最初の職業婦人になったのは、そんな母の姿を見ていたせいもあるのだろうか?
 
 モンの場合、複数の妻でも、同じ家に住むのだから、辛さはなおさらのことだろう。マイリーは、寂しさからか、その後二人の子どもを養子にもらって育てている。ヤァトゥー(右端)と、マイチャ(後列右から4番目)だ。二人ともモン族ではないが、赤ん坊の時からモンの子として育てられた。
 3番目の妻、ロー・ワンには、5人の子ができた。イェンポーは望みの通り、息子にも恵まれたが、子どもたちが一人立ちする前に、逝ってしまった。

 残された家族……子どもたちはまだみんな学校に行っている。上の妻マイリーは、目があまり見えない。下の妻ロー・ワンは、下の子をマイリーに託して、一人で畑仕事をしている。山の斜面で陸稲を植え、家族の食べる米は作っているものの、子どもたちにかかる学費、制服代、生活費……あれこれを、どう捻出したらいいか、途方に暮れている様子であった。まだ嫁に来たての頃は、何も知らないわがまま言い放題の女の子みたいだった彼女が、今、一家を代わりに背負っている。
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 妻同士の確執もあるだろうが、今は二人で協力しないことには、家族を支えられない。村の女性たちは、
「ロー・ワンもえらいわよ。なんだかんだ言っても、今となっては、目のみえない1番目の妻と子どもたちのことも、家族のみんなの生活を背負っているんだから」と言う。

 先日、家をのぞいたら、子どもたちが次々と学校から帰ってきた。
 みんなそろって記念撮影。

 お母さんだけでなく、子どもたちも、みんな一生懸命、刺しゅうを作っている。制服代、学用品、試験にかかるお金……米を作ることで精一杯のお母さんには、とてもねだれない。だから、子どもたちそれぞれが、自分でお金を稼がなくちゃいけないのだ。
 刺しゅうは、こんな家族のことも支えている。

▼ラオス・山のふもとの刺しゅう屋さん(シヴィライ村の刺しゅう)
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# by laospantao | 2015-01-15 01:00

マイイェンに赤ちゃんが生まれました

 以前も紹介したマイイェンは、今年5月6日に、男の子を出産しました。その後、3か月、図書館の仕事を休んでいましたが、9月のラオスの新学期から、子連れ出勤で仕事に復帰しています。
 今、5カ月になったプットくん。保健体育の先生であるお父さんはラオ。お母さんはモンのハーフです。お父さんはラオス語、お母さんのマイイェンはモン語で話しかけているとのこと。ラオ語とモン語のバイリンガルになるでしょう。色白で目がくりくりとした、なかなかのハンサムくん。休み時間になると、図書館に来る女の子たちが、すぐさま抱いて遊びに行くそうで、その間、お母さんも仕事ができるとのこと……。
「子どもたちの声をきいていると安心するみたいなのよ」と。きっと、大勢の子どもたちに見守られて育っていくのでしょう。

 身内を次々となくし、血をわけた肉親はお姉さん一人だけという、さびしい境遇のマイイェン。結婚して幸せになってよかったな…と思っていましたが、結婚した時以上に、プットくんを抱くマイイェンからは、幸福感とやさしさが滲み出ているように感じました。そしてその表情に、私は、亡くなったマイイェンのお母さんの顔を見るような気がしたのです。これまでにマイイェンがお母さん似だと思ったことがなかったのですが、息子を抱くマイイェンの顔に、亡くなったお母さんの表情が重なって見えて、あぁ、マイイェンはお母さんになって、お母さんに近づいていくんだ……となんだかしみじみしてしまいました。

▼以前に紹介したマイイェンの記事
「マイイェンの結婚」

▼ラオス・山のふもとの刺しゅう屋さん(シヴィライ村の刺しゅう)
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# by laospantao | 2014-11-15 00:19

ヤーコンのこと

 ヤーコンは9歳の時、隣村で、実をとりに上った木から落ちて、柵として立てられていた竹に、なんと串刺しになってしまった。村人が助けて、すぐ病院に運んだ。一命はとりとめたものの、もう歩けないだろう……と医者は言った。また、尿意を感じる神経が切れてしまったらしく、おしっこが垂れ流しになってしまった。

 ヤーコンは1カ月、ビエンチャンにある150ベッド病院と呼ばれる外科病院に入院した。退院後、村を訪ねた私に母親のウー・ハーは、
「刺しゅうを買ってもらえる? また息子を病院に連れて行かないといけないから」と、差し出した布には、植木鉢と花が刺しゅうされていた。
「病院で息子に付き添っていた時、窓の外に鉢に植わっている花が見えたのよ。毎日見ていたのよ。それで刺しゅうしたの」と言った。
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   入院中のヤーコンとお父さん
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            車いす…怪我をした年のヤーコン

 その後、ヤーコンは少しずつ歩けるようになり、杖をついて歩くことができるようになった。でも、明るい笑顔の少年の顔は、だんだん暗く、無口になった。他の子どもたちが山を駆け回り遊んだり、畑仕事を手伝ったりするのに、彼にはできない。これまでは、長男のヤーコンが先に立って、両親の手伝いをしてきたのに、外仕事は弟が代わってするようになった。ヤーコンは黙ったまま、ひたすら刺しゅうしてハートを作っていた。せめてもの小遣い稼ぎ、そして、家計の足しになるからである。

 学校へ行く時にだけ、紙オムツをしている。尿意がないから、いつのまにかもれてしまうのだ。紙オムツが買えないと学校に行けない。友達に「臭い」と嫌われてしまうから。オムツ代は、シヴィライ村中学校建設以来、ずっと村を支援してくださる茨城県の妙行寺の大宮さんが支援してくれることになり、ヤーコンは学校へ通った。
 手先は器用で、自分で自転車修理もする。ただ、自分では漕げないので、弟が漕ぐ自転車の後ろに乗って、隣村にある小学校へ通っていた。歩くと40分もかかる道のりは、彼の脚では大変だ。
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   弟と二人乗りで学校に通う

 小学校を終えた頃、縫い合わされた背中の傷から膿のようなものが出てくるようになった。痛みもあって、ヤーコンの元気がなくなった。病院に行くと、おそらく竹のささくれが体内に残っているのだろう……でも、ラオスの病院にはない、もっと精度の高いレントゲンを撮らないとわからない。そのレントゲン写真があれば、手術はラオスでできると、病院で言われたと、ヤーコンの父親が相談に来た。レントゲンを撮るだけで700ドルもかかるのだ。
 レントゲンの他、手術代もかかる。正直言って、少ないお金ではない。きついと思ったが、この時点で、私が、「無理だよ。そんなお金はない」と言ってしまったら、もうヤーコンの望みが絶ち切れてしまう……「なんとかしてみるよ」と、いつもヤーコンの支援してくださる妙行寺の大宮さんに相談した。大宮さんが寄付を集めて下さり、ヤーコンはタイでのレントゲンを元に手術を受けることになった。1カ月近く入院した。確かに、竹のささくれが体内に残っていたのだった。

 再び元気になったヤーコンは中学へと進み、学校での成績もクラスで1,2番という頑張りだ。家ではいつも刺しゅうをしてハートを作っていた。ヤーコンの作るハートは本当にきれいなのだが、黙々と作る少年の姿は悲しくもあった。ほとんど笑顔は見せず、無口で、たまに話しかけても、答えない。ある時、私はヤーコンに言った。
「あのね。みんながヤーコンのこと応援してるんだよ。少しは話もしないとダメよ。ありがとうぐらいは言わなきゃ」

 そんなヤーコンの笑顔を見るようになったのは、2年ほど前だったろうか? 友達と話して笑っていた。杖をついて、ぶきっちょにだが走っている姿を見て、あぁ、こんな楽しそうなヤーコンをこれまで見たことがなかったな、と嬉しくなったものだ。

 シヴィライ村にある中学は、中学4年までで、それ以降の高校レベルはない。遠くの高校に通うのはヤーコンには大変だ。せっかく勉強もできるのに、ここで進学をあきらめるのも残念だ。そして何よりも、身体を使った農作業など普通の村の仕事ができないのだから、手先に技術を身に着けないといけない。そんな時、ラオスで障害者の活動を支援しているNGOのADDP(アジアの障害者活動を支援する会)の方から、障害者のための職業訓練校があるという話をきいた。パソコンや電話、テレビなどの修理の技術、またはバイク修理などを、ただで学ぶことができるのだという。技術が身につくことはもちろんだが寄宿して共同生活を送る中で、深いつながりができ、卒業しても協力しあう人が多いのだという。

 今年の6月に中学4年を卒業した彼に、その話をしに行った。その日、みんな畑に出払って、彼が一人、家にいたのだ。ヤーコンに説明して、
「どう? そこへ行って勉強したい?」と聞くと、彼ははっきりと、
「うん、勉強したいよ」と答えた。「行ったら、家から離れて、寄宿舎に入って、他の人たちと暮らすのよ。大丈夫?」「うん、大丈夫」と彼はうなづいた。

 あれこれ、必要書類がそろったから、願書を出しに行きたいと、ヤーコンの母から電話があったのは、先週のことだ。ビエンチャンの中心地からは少し離れた場所にあるその学校へ、ヤーコンを連れて行った。
 願書を受け取った女の職員の人も、脚が不自由。「他にも障害者がいたら、ぜひ来るようにいってくれよ」と明るい調子で話しかけてきたのは、背がまがってとても小さな男の人……両手のない人、車いすの人……でも、みんなの表情は明るい。ヤーコンは、「自分よりもっと身体の不自由な人たちが、みんな頑張っている」と感じたに違いない。

 9月に入ったら、ヤーコンは初めて家を離れて、新しい学校へと進むのだ。そこで、いい仲間に出会い、技術を身につけて、将来を切りひらいていってほしい。

▼ラオス・山のふもとの刺しゅう屋さん(シヴィライ村の刺しゅう)
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        今年のヤーコン、この後、職業訓練学校に願書を出した。
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# by laospantao | 2014-08-31 23:13

マイチェン・リーのこと

 彼女は元気な女の子だった。勉強もがんばって、シヴィライ村の女の子としては初めての大学に進学した。(看護学校、教員養成校に進学した子はいたが・・)家を遠く離れ、ルアンパバンの教員養成大学に行くことになった。その時、日本の方からの奨学金として支援をいただき、私はしばしばビエンチャンから送金するたび、彼女と電話で話した。

 いつの頃からか、電話の向こうから元気のない声が聞こえてくるようになった。身体の不調を訴えている。お腹が痛い……子宮の調子が変みたい……力がなくて倒れた……夏休みに戻ってきた時に会ったが、顔は吹き出物だらけであった。

 ルアンパバンで、彼女を支えてくれていた友達がいた。ある時、その友達から私に電話があった。甲高いかわいらしい声だった。
「お医者さんが、本人に言うとショックかもしれないからって、私が告げられたのだけど、マイチェンの腎臓の片方が働いていないっていうの。彼女に言うべきかどうか迷って、あなたに電話したの」
と、その子は言った。腎臓が片方働いていない? 本当だろうか? でも、マイチェンにはいい友達がいるんだな。親元を離れてたった一人なのだから、どんなに心強いだろう。
「マイチェンのこと看てあげてね」と言うと、
「大丈夫。心配しないで、私がちゃんと看るから」と明るい声が返ってきた。

 しかし、その後ほどなく、悲しいことが起きた。その子が亡くなったのだ。しかも、マイチェンに代わりに、マイチェンの診断書を取りに、彼女の自転車に乗り病院に行く時、疾走してきた車にはねられたのだ。

 電話の向こうで、マイチェンが声を押し殺して泣いていた。私のせいだ…私のせいだ…と。私は、「あなたのせいじゃないよ。車が悪いんだし……自分を責めちゃだめだよ」
とは言ったものの、彼女がどれほど辛い思いをしたかは、想像に難くない。亡くなった友達の家族からも、責められた。

 まったくびっくりするほど、辛い経験を重ねたあげく、彼女は大学を卒業してシヴィライ村に帰ってきた。そして、昨年の秋、サイソンブン県の職員の採用試験に受かった。あとで聞くと、とても狭き門で、同じく村から試験を受けた男性は落ちている。

 さて、友達の事故で、一時期は、自分の身体のことなど構っていられなかったわけだが、治るわけはなく、再び、具合が悪くなった。再び、近くの病院で検査を受けると、やはり腎臓の片方が働いていない。手術してとった方がいい。また子宮の一部も化膿しているから、一緒に取った方がいいとの結果がでた。

 相談を受けて、私も手術をすすめた。そりゃ、辛い思いは大きいだろう。まだ結婚もしていない。モンの女性で、子どもを産めないとなると、お嫁にいけないかもしれない。でも、これ以上放っておいたら、命が危ない。
「あんたは、勉強を続けてきて、先生になって、それで、県の職員に合格したんだから、これからバリバリ働けるのよ。結婚して家庭に入るしかない普通のモンの女性からは一歩抜け出しているんだから…大丈夫、生きていくのよ」
と、手術代を貸した。

 マイチェン・リーは手術を受けた。夏休みが終わった後、いよいよ本格的に、先生として働きはじめる。

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左の黒い服の子がマイチェン・リー、右の子はミシンを買ったジュア

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左がマイチェン、右が図書館で働きだす前のツィー・リー。二人は姉妹

▼ラオス・山のふもとの刺しゅう屋さん(シヴィライ村の刺しゅう)
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# by laospantao | 2014-08-06 23:17

はじめの一歩

シヴィライ村のクラフト担当者が変わりました。
クラフト担当者は3人。ルー・ロー、シー・ション、パンニア・リーの3人。みんな、20代から30代の若いお母さんたち…前の人たちよりも一世代若くなった感じです。

 昨日、村を訪ね、3人と話し合いをしました。

 これから、どうやって行くか……ただ作って売れればいい…というのではなくて、シヴィライ村の刺しゅうの作り手のみんなにも、もっと意識を高めてほしい……

 日本では、シヴィライ村の刺しゅうがきれいだから好き!という人がたくさんいるんだから、これからももっと頑張って、喜んでもらえるいいものを作って行ってほしいということ…この度日本で、協力者の方々にいろいろとご指摘いただいた、バッグの縫い方などの改善…バッグのハンドルの長さへのアドバイス…商品の試作…

 私自身が裁縫が苦手でよくわからないために、これまでは、ずっとモンの人たち任せにしてきたのですが、日本の方々の細かなアドバイスを伝えると、作り手の彼女たちには、よくわかるのでしょう。真剣な顔をして、うなずいて聴いていました。

 最後に、今回、日本で作ってくださった、シヴィライ村の刺しゅうを使ってくださっている人たちの写真のアルバムを見せたところ、みんな、とてもうれしそうに見入っていました。

 自分たちが作っている刺しゅうのクラフトが届いている人からのメッセージが届いた!そのことは、彼女たちも本当に嬉しかったに違いありません。
「私たちの作る刺しゅうを喜んで使ってもらっている」という喜びがわいたに違いありません。

 刺しゅうを通じた、双方向のつながりの、はじめの第一歩みたいな気がしたのでした。

▼ラオス・山のふもとの刺しゅう屋さん(シヴィライ村の刺しゅう)
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# by laospantao | 2013-10-23 08:00

新しい図書館員のツィーのこと

 ツィーは図書館の新しいスタッフだ。3か月ほど前から働きだした。
 彼女はまだ19歳なのだけど、実はもうすでに結婚して離婚した。この村の中学4年生(つまり高1)の時に、ルアンパバン県のモンの青年と結婚し、学校を辞めて嫁に行った。でも、結婚してみたら、相手が暴力をふるう。彼女は何度もなぐられて、脳震盪を起こして倒れたりしたそうだ。すったもんだした挙句、あまりにひどい暴力に耐えられず、昨年、離婚して戻ってきて、実家で暮らし始めた。でも、いろいろな苦い経験をしたからだろう、胃痛がひどく、痛みだすとひどい時は意識を失って倒れてしまうようになった。

「モンの習慣だと、一度、結婚して家を出た娘が出戻ってきても、もう魂の居場所が違うから、実家で死んではいけない…っていうことがあるの。だから、私が倒れそうになると、みんなが、『大変だ、家から出さなくちゃって』、具合が悪い私を、家から出して隣の家の軒下に寝かせられるの。私、とても悲しくなって泣いたわ」
ツィーはとても沈んだ顔をして言った。

 モンの風習では、嫁いで家を出て行った娘は、家の人数からは削除され…恐らく魂の所属の問題なのだろうが、娘はその家の所属ではなくなった…ということで、出戻った場合でも、元気な時はいいが、具合が悪くなると家の中にいられないのだという。ツィーの場合は、お父さんに奥さんが二人いて、彼女の生母である1番目の母よりも、2番目の母が家の采配をふるっていることもあって、よりいにくいのだろう。
「だから、私、何とか独立したいの。自分で小さな小屋でも作って、そこに住まないと、具合が悪くなったら外にいなくちゃいけないんだもの」
 ツィーは、悲しみを押しこらえたような小さな声で何度も言った。
「図書館で働けないかしら・・・・」

 彼女の立場はわかるが、だからと言って、人数的には足りている図書館のスタッフに雇うのもなぁ…しばらく、私は渋って答えなかったのだが、何度も彼女に言われ、前は明るく可愛らしかった彼女が、ずっと沈んで暗い顔をしているのを見て、この若い彼女がこれから自分で人生を開こうというのに、少しでも足がかりになれば…と、図書館で働いてもらうことにした。

 3か月ぶりに村を訪れた。図書館を覗くと、ちょうど休み時間だったのだが、中学生たちが、所狭しと座り込んで、本をめくっている。本を黙読している子もいれば、友達と一緒に、声を出して絵本を読んでいる子もいる。そんな中、まだ学齢前の小さな子どもたちも来ていて、その小さな子たちに、ツィーはしゃがみこんで、絵本をお話してあげている。あんまりにも自然で、彼女が、図書館で働いている姿を見るのを初めてだったことを忘れていたほどだ。そういえば、ずっと暗かった顔が、明るくなっている。
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子どもたちに絵本を読んであげるツィー

「どうなの?元気なの?胃は痛くないの?」
「うん、でも薬はずっと飲んでいるの。そうじゃないと、お腹が痛くなるから」
「図書館の仕事は?」
「好きよ。子どもたちに本を読んであげるのも楽しいし、自分がいろいろと知識を得られるのもいいし…あっという間に時間が過ぎてしまうのよ」
と、ツィーは晴れやかな顔をして言った。久々に見る笑顔だ。

 マイイェンはそんなツィーを見守るすっかりお姉さんの風格だ。今はすでに妊娠2か月で、細い身体のお腹がふくらんできている。マイイェンも、図書館に入ったことがきっかけで、暗さから抜け出した女の子なのだが、ツィーにもぜひ、自分に人生を掴んで歩いて行ってほしい。

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ツィー(左)とマイイェン(右)

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図書館で本を読む中学生たち

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日本の絵本(ラオス語訳を貼ってある)を楽しそうに読む中学生
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# by laospantao | 2013-05-14 20:00

若者たち

 数か月前、村の高校最終学年、7年生(ラオスは中学、高校を連続して学年を数える)の女の子、イェンから電話をもらった。
「きよこ、今じゃないわよ。6月の試験前に、どうしても試験代がいるの。今から刺繍を作ってためておくから、その時、まとめて買ってね。そうじゃないと、私、試験代がないの」
 ラオスでは、学年末試験、特に高校の卒業試験、その他もろもろの手続きなどに、結構お金がかかる。もちろん、日本に比べたら大した金ではないかもしれないが、村の人たちにとっては負担が大きい。その上、イェンの両親が二人とも、昨年、相次いで病気になって、治療にお金がかかったので、イェンのために試験費用などを出してあげられない状況なのだ。

 つい先日、イェンは、「そろそろ試験だから、刺繍を持っていきたいんだけど…」と、やはりシヴィライ村に住む親せきの女の子ギーと、ギーの弟のヌンと一緒にやってきた。 ギーのことは小さい時から知っているが、今はもう2人の子のお母さんになっている。

「これから焼畑の畑に陸稲を植えるの。でも、雑草がひどくて、除草剤を買わないと、とても植えることができないのよ」と言う。刺繍を売ったら、除草剤を買って帰るのだ。
「今年は、水がなくて大変だったわ。お金がある人は、飲み水のタンクを買えるけれど、私たちはお金がないから、湖の水を沸かして飲んでいたのよ。やっと雨が降り出して、助かったけど…」と。ギーは顔も声も小さい頃と変わらず、かわいらしいのに、人生の辛苦を知る大人になった。

 イェンは、同じ高校生最終年の弟、高校1年の弟、中学2年の妹…みんなで一生懸命作った刺繍を私の前に広げた。
「みんな試験代がいるのよ。きょうだい全員が頑張って作った刺繍よ。うちは、昨年1年、親が病気ばっかりしてたから、私たち子どもたちが自分で何とかしなくちゃいけないの…」と早口で言う。
「そりゃ、進学はしたいけど、どうなるかわからないわ」
ここまで頑張って勉強してきたのだから、それは上に進みたいだろう。でも、試験の結果次第と、やはり進学するにはお金がいる。
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左からヌン、イェン、ギーです。うちを訪ねてきた時に撮った写真

「今日、私たちは、弟のヌンのアパートに泊まるのよ。せっかくビエンチャンに来たのだもの。久しぶりにゆっくり弟とも話したいの」
とギーが言った。そこで、私も一緒にヌンのアパートへ行ってみた。ヌンは、2年ほど前、村から出てきて、ビエンチャンのフゥ屋(そばや)で働いている。繁盛している大きな店だ。同じ店で働く同僚7人で、6畳ほどの大きさの部屋で共同生活をしているのだという。車が行きかう喧騒な大通りに面して並ぶ華やかなショッピング街のすぐ後ろにその小さな長屋アパートはあった。

「店まで歩いて行って、働いて、それで歩いて帰ってきて、ここで寝るんだ。夜、暑いけどね、仕方ないよ」と。

 山の村とは全然違う環境の中で、黙々と働く青年。
 若者たちは、親の代とは違う新しい生活に、一人ひとり向かい合っている。
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ヌンのアパートで。左からギー、イェン、ヌン

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ヌンの住む長屋アパート
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# by laospantao | 2013-05-11 23:07

図書館のジェお父さんの話

シヴィライ村の図書館のスタッフをやっているジェは、もう5人の子どものお父さん。彼は、自分の子どもだけでなく、図書館に来る子どもたちにも優しい。小さい子どもたちが、「お話して、お話して」と言われると、いかにも楽しそうにお話してやるし、中学生たちにも慕われている。

「ぼくは、自分の子どもたちに、ぼくみたいな貧乏暮らしじゃなくて、親を超えて育ってほしいと思っているんだよ。ぼくはね、両親が貧しかった。7人女、7人男の14人きょうだいだからね…」

 ジェは上から3番目だ。小学生の時にタイの難民キャンプからラオスへと戻ってきた。小5を卒業し、中1に進んだ。でも、その時は中学が村にはなかった。通おうにも自転車もなかった。友達の自転車の後ろに乗せてもらったり、お母さんから、乗り合いバスに乗るお金をもらったりして、1週間ほど中学に通った時だった。

「うちは貧しくて、食べる米もなくてね。お父さんが森で掘った山芋を主食にしていたんだ。でも、その時、お父さんは間違えて毒のある山芋を掘ってきてしまって、それを食べた妹が死にかけたんだ。お父さん自身も食べた。学校から帰ってきて、具合の悪い妹とお父さんを見て、ぼくは学校へ行くのをあきらめた。学校へ行くのにかかるお金を米代にまわせたら、妹だってそんな目に合わなかったわけだし、たくさんいる弟や妹たちのために畑仕事をして、食べさせてやらないといけないと思ったからだよ」

 ジェは続けた。
「ぼくはさ、成績悪くなかったんだよ。いつも、クラスで1番か2番か3番か…で、今、このシヴィライ中学の先生になっている同級生よりも成績がよかったんだ。だから、もし学校を続けていたら、何か職についていたと思う。でもね…事情が許さなかったんだ。今でも残念だけど、仕方ない。だからね、ぼくは、自分の子どもたちにはちゃんと勉強して、自分で道を開いて行ってほしいんだよ」
とジェは言った。

 週4日、図書館の仕事をして、あと3日は畑仕事…今年の稲刈りも終わったばかりだが、まだ1年分に足りるかどうかはわからない。稲刈りが終わった途端、身体を壊して、病院に運び込まれた…と言う。図書館の仕事で時間をとられてしまう分、かなり無理しているのだろう。それでも、図書館の仕事を続けているのは、「勉強をして、自分たちの境遇を超えてほしい」という子どもたちに対する願いが心の中にあるからなのかもしれない。

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# by laospantao | 2012-11-16 00:00